こんにちは、フライドエッグののっちです。
アプリゲームでも人気の「ウマ娘 プリティーダービー」。
単なる“美少女化アニメ”とは違う、競馬ファンをも熱くさせる本作品の魅力とは一体どんなものなのでしょうか?
今回は、アニメ「ウマ娘プリティーダービー」に登場するチームスピカのメンバーを紹介します。
史実を知れば、アニメもアプリもきっと楽しくなりますのでご覧ください。
チームスピカとは
ウマ娘たちが通う、ウマ娘養成学校のトレセン学園には各種チームがあり、担当トレーナーごとに教育方針が違います。
その中でもチームスピカはあまり評判は良くなく、アニメ1期の物語序盤は少し特殊で色物感のあるチームとなっていますが、物語が進むに連れて各々がその実力を開花させて行き、他のチームからも油断できない強豪チームへと成長していきます。
チームメンバー紹介
チームスピカには、1期主人公のスペシャルウィーク、2期主人公のトウカイテイオーをはじめ、サイレンススズカ、メジロマックイーン、ダイワスカーレット、ウオッカ、ゴールドシップが所属します。
スペシャルウィーク
生年月日 | 1995年5月2日 |
通算成績 | 17戦10勝[10-4-2-1] |
獲得賞金 | 10億9,262万円 |
父 | サンデーサイレンス |
母 | キャンペーンガール |
主な勝鞍 | ’98 東京優駿(G1) ’99 天皇賞・春(G1) ’99 天皇賞・秋(G1) ’99 ジャパンC(G1) |
生い立ち
・母キャンペーンガールは父にマルゼンスキー、母系にシラオキを持つ良血。
・生後間もなく母馬と死別し、乳母馬に育てられる。
・離乳期まではあまり他の馬たちと行動を共にせずひとりで遊んでいることが多かった。
・乳母馬の気性がきつかったこともあり、人の手をかけて育てられる。
天才をダービージョッキーにした競走馬
・初のG1「皐月賞」に出走するが、前走からの馬体重が+10kgも響いたのかセイウンスカイの3着となる。
・続く「日本ダービー」は-8kgと馬体を絞り、見事1着でダービー馬の仲間入りを果たす。
・このダービー勝利はジョッキーの武豊にとって初のダービー制覇となったが、興奮のあまりムチを落としてしまう。
・クラシック最終戦「菊花賞」は皐月賞馬セイウンスカイの世界レコードの逃げに屈して2着に破れる。
・翌年の「天皇賞・春」に勝利し、ファン投票1位に選出された「宝塚記念」では初対戦のグラスワンダーに差され2着に破れる。
・秋初戦の「京都大賞典」では自身の最高馬体重の486kgで挑み7着に敗れるも、次走の「天皇賞・秋」では-16kgと馬体を絞り、レースレコードで優勝。
・スーパークリーク 以来9年ぶりに天皇賞の春秋制覇、同一年での春秋制覇はタマモクロスに続く史上2頭目となる。
・日本の総大将として参戦した「ジャパンカップ」では「凱旋門賞」でエルコンドルパサーを破ったモンジューなどの海外馬を相手に優勝。
・引退レースとなる「有馬記念」では1着と勘違いした武豊がウイニングランするも、またもグラスワンダーにハナ差破れ2着に破れる。
小ネタ
・大一番に馬体を絞って結果を残していることから、ウマ娘では大食いのダイエットキャラに認定されていると思われる。
・ちなみにエルコンドルパサーとグラスワンダーには1度も先着できなかった。
代表レース
1998年 日本ダービー
「ダービーだけは勝てない」と言われていた武豊が、10度目の挑戦で初のダービーを制したレース。
1999年 ジャパンカップ
「凱旋門賞」でエルコンドルパサーを破ったモンジューなどの海外馬を相手に優勝したレース。
サイレンススズカ
生年月日 | 1994年5月1日 |
通算成績 | 16戦9勝[9-1-0-6] |
獲得賞金 | 4億5,598万円 |
父 | サンデーサイレンス |
母 | ワキア |
主な勝鞍 | ’98 宝塚記念(G1) ’98 毎日王冠(G2) ’98 金鯱賞(G2) ’98 中山記念(G2) |
生い立ち
・父が青鹿毛のサンデーサイレンス、母が鹿毛のワキアにも関わらず栗毛の仔馬で、さらに小柄だったためあまり期待されていなかった。
・立った時のバランスが素晴らしく欠点らしい欠点が見当たらなかった。
・関係者の評価は「小さくて、華奢で、可愛くて」といったものだったがデビュー前の調教では優秀なタイムを叩き出し一気に注目を集める。
「栗毛の逃亡者」と言われた競走馬
・デビュー戦ではダントツの1番人気に推され、スタートから先頭に立つとそのまま7馬身差の圧勝。
・この競争では、後に主戦騎手となる武豊も騎乗していたが「痛い馬を逃したと思った。体は小さいけど、すごくダイナミックな走り方をする。素晴らしいフォームだな。」と評している。
・「弥生賞」のスタート前にゲートの下をくぐってしまい、ジョッキーが怪我をしてしまう。
・馬体に異常が見られなかったため、大外ゲートからの再スタートになるが、ゴールドシップばりにゲート内で立ち上がり、スタートもタイミングが合わずさらに大きく左にヨレて先頭から10馬身近く離されてしまい8着に破れる。
・この事件から「サンデー譲りの気性難」「まだ馬が若い」などと憶測が飛び交う。
・実はゲート入りまでついていった厩務員さん(馬のお世話をする人)がゲートをくぐっていなくなったため、寂しくなって追いかけていったとされている。
・武豊とコンビを組んだサイレンススズカは重賞3連勝を含む4連勝を飾りファン投票6位で「宝塚記念」に出走し、鞍上は南井克巳に乗り替わるが見事初G1制覇、グランプリホースとなる。
・秋初戦の「毎日王冠(G2)」では、無敗でNHKマイルCを制したエルコンドルパサーと前年3歳(現2歳)王者のグラスワンダーとの初対決、「逃げて差す」競馬で6連勝を飾る。
・後に海外でG1・G2を制し「凱旋門賞」でも半馬身差の2着のエルコンドルパサーに国内で唯一土をつけ、この後グランプリ3連覇を成し遂げるグラスワンダーを寄せ付けなかったことからもサイレンススズカの能力の高さを伺える。
・「沈黙の日曜日」とされる「天皇賞・秋」ではスタートから快調に飛ばすが3コーナーの大ケヤキを過ぎたあたりで失速、左前脚の手根骨粉砕骨折を発症し競争中止、予後不良と診断される。
・武豊は「骨折をして転倒をしなかったのは、僕を守ってくれたからかもしれない」と語っていた。
小ネタ
・馬房では、長時間左回りにクルクル回り続ける旋回グセがあった。
・旋回グセでの事故を懸念した厩舎スタッフがタイヤや畳を吊るして旋回をやめさせたところ、次走の「マイルチャンピオンシップ」では15着の大敗、ストレスが原因とされ元に戻される。
・「沈黙の日曜日」から1年後、武豊はスペシャルウィークで「天皇賞・秋」を制す。
代表レース
1998年 宝塚記念
サイレンススズカにとって唯一のG1を制したレース。
1998年 毎日王冠
無敗外国産馬のエルコンドルパサーとグラスワンダーに勝ったレース。
トウカイテイオー
生年月日 | 1988年4月20日 |
通算成績 | 12戦9勝[9-0-0-3] |
獲得賞金 | 6億470万円 |
父 | シンボリルドルフ |
母 | トウカイナチュラル |
主な勝鞍 | ’91 皐月賞(G1) ’91 東京優駿(G1) ’92 ジャパンC(G1) ’93 有馬記念(G1) |
生い立ち
・父は無敗の三冠馬でG17勝馬の「皇帝」シンボリルドルフ。
・父の異名「皇帝」からの連想で、出生後すぐに「テイオー(帝王)」と呼ばれ、幼名も「ハマノテイオー」とされる。
・幼駒の頃は足が長く、華奢で見栄えがしなかったため評価は高くなかった。
・トレーニングセンターに入るとストライドの大きな馬はタイムが出ないとされる坂路コースで際立った動きを見せ調教師から大きな期待を寄せられる。
・繋(つなぎ)が非常に柔らかく、装蹄師が「ダービー馬が来たな」と口にした。
・柵を飛び越えて隣の放牧地にいたという逸話も存在する。
「帝王」と言われた競走馬
・クラシック初戦の「皐月賞」を大外18番枠から制覇。
・シンボリルドルフ以来、無敗で「日本ダービー」を大外20番枠にもかかわらず制覇、8枠出走の日本ダービー制覇は史上初。
・日本ダービー後に骨折が判明、菊花賞の断念を余儀なくされる。
・「大阪杯(当時G2)」の戦前、トウカイテイオーの騎手・岡部幸雄が「この馬となら地の果てまでも駆けてしまいそうだよ」とコメントすると、メジロマックイーンの騎手・武豊が「あちらが地の果てなら、僕の(マックイーン)は天にまで昇りますよ」とコメント。
・翌年の復帰戦「大阪杯(当時G2)」では、前年の有馬記念優勝馬ダイユウサクなど強豪馬も出走したが、ほとんど追うこともなく圧勝。
・続く「天皇賞・春」ではメジロマックイーンと対戦、1番人気に推されるも5着と初の敗北を喫する。
・「天皇賞・春」の10日後、2度目の骨折が判明、長期休養に入る。
・復帰戦の「天皇賞・秋」では7着に破れ、「テイオーは終わった」「二冠は相手が弱かったから」と言われるようになる。
・この年から日本初の国際G1競争となる「ジャパンカップ」でシンボリルドルフ以来のジャパンカップ制覇で、日本競馬史上最初の国際GI優勝馬となった。
・ファン投票1位で出走した「有馬記念」ではゲートでトモを滑らせて腰の筋肉を痛め11着と敗退。年明けには左中臀筋を痛めていたことが判明し長期休養に入る。
・「宝塚記念」での復帰を目標に調整されていたが、競走10日前に3度目の骨折が判明し、再び休養に入る。
・復帰戦は1年ぶりとなる「有馬記念」、奇跡の復活を遂げる。
・前回の出走から中364日でのGI勝利は長期休養明けGI勝利の最長記録となり、現在まで破られていない。
・翌年も現役を続行するが、4度目の骨折を受け現役を引退。
小ネタ
・身体の柔軟性が非常に高い。
・調子がいいときは「テイオーステップ」と呼ばれる弾むような独特の歩容を見せる。
・容姿面での評価も高く、長い前髪と父親譲りの美しい流星がトレードマークで、パナソニックの大型テレビ「画王」のCMキャラクターに採用される。
・潔癖症で、馬房では慎重に場所を選んで綺麗な藁の上でしか横にならない。
代表レース
1992年 ジャパンカップ
シンボリルドルフ以来のジャパンカップ制覇で、日本競馬史上最初の国際GI優勝馬となったレース。
1993年 有馬記念
364日ぶりに奇跡の復活を遂げた引退レース。
メジロマックイーン
生年月日 | 1987年4月3日 |
通算成績 | 21戦12勝[12-6-1-2] |
獲得賞金 | 9億9,810万円 |
父 | メジロティターン |
母 | メジロオーロラ |
主な勝鞍 | ’90 菊花賞(G1) ’91 天皇賞・春(G1) ’92 天皇賞・春(G1) ’93 宝塚記念(G1) |
生い立ち
・祖父のメジロアサマ、父のメジロティターンは共に天皇賞馬で、半兄には菊花賞・有馬記念を制したメジロデュレンがいる。
・メジロ牧場豊年の「メジロ87年組」の1頭だが、その中で本馬は2番目ないし3番目の評価だった。
・500kgをはるかに超える大型馬であり、調教を積んでもなかなか体重が絞れずデビューが4歳(現3歳)2月と遅れる。
「名勝負なき名ステイヤー」と言われた競走馬
・デビュー戦は意外にもダート1700mだった。
・重賞初出走の条件馬ながらも「菊花賞」を勝利。
・年明けより鞍上に武豊を迎え、「天皇賞・春」に勝利し、親子3代で天皇賞制覇を果たす。
・「天皇賞・秋」では、タマモクロス以来の天皇賞春秋制覇を目指し、2着に6馬身差の差をつけ1位入線するが、スタート直後に斜行して進路を妨害したとして18着に降着になる。
・G1での1位入線馬の降着処分は日本競馬史上初めてのことだった。
・翌年の「天皇賞・春」では2冠馬のトウカイテイオーとの「世紀の対決」を制して天皇賞・春を連覇。
・「宝塚記念」に向けた調教中に骨折、長期休養に入る。
・翌年、復帰戦の「大阪杯(当時G2)」に勝利し、「天皇賞・春」3連覇に挑むもライスシャワーの2着に破れる。
・「宝塚記念」で優勝し、G1競走の連続年度勝利記録となる4年連続G1制覇を達成した。
・「天皇賞・秋」の4日前に繋靱帯炎を発症し、現役を引退。
小ネタ
・獲得賞金が10億円突破となった史上初の馬である。
・気性が激しいサンデーサイレンスの威嚇を受けていたがシカトを決め込む。後に仲良しとなる。
・イクノディクタスに想いを寄せていたとのウワサがある。
代表レース
1990年 菊花賞
重賞初出走でG1を制したレース。
1992年 天皇賞・春
「世紀の対決」とされた2冠馬のトウカイテイオーに勝ったレース。
ダイワスカーレット
生年月日 | 2004年5月13日 |
通算成績 | 12戦8勝[8-4-0-0] |
獲得賞金 | 7億8,668万円 |
父 | アグネスタキオン |
母 | スカーレットブーケ |
主な勝鞍 | ’07 桜花賞(G1) ’07 秋華賞(G1) ’07 エリザベス女王杯(G1) ’08 有馬記念(G1) |
生い立ち
・父に通算戦績4戦4勝の皐月賞馬アグネスタキオン、母は現役時代にG3を4勝しているスカーレットブーケ、兄にG15章のダイワメジャーがいる良血馬。
「ミス・パーフェクト」と呼ばれた競走馬
・デビュー戦の日に兄のダイワメジャーも「マイルチャンピオンシップ」で優勝し、同日兄妹勝利を挙げる。
・「桜花賞」のトライアルレースのチューリップ賞でウオッカと初対戦。ウオッカの瞬発力を測るため、仕掛けを遅らせ真っ向勝負を挑むも差し切られ敗北。
・本番の「桜花賞」では早めに仕掛けて見事優勝。
・「オークス」では本命視されるも感冒で回避。
・「秋華賞」では、3度目のウオッカとの対戦も早めに抜け出して優勝。牝馬2冠を達成。
・次走の「エリザベス女王杯」も優勝。次週に「マイルCS」で兄のダイワメジャーも優勝したため、2週連続で兄妹G1制覇を達成する。
・年末「有馬記念」では、ダイワメジャーとの兄妹対決やウオッカとの対戦など話題となるが、2着に敗れる。なお、ダイワメジャーは3着、ウオッカは11着に敗れた。
・年明けには初ダート挑戦とドバイ遠征が予定されるが、調教中にウッドチップが目に入り創傷性角膜炎と診断。ドバイ遠征が白紙となる。
・「大阪杯(当時G2)」に勝利し、ヴィクトリアマイルを目標に調整するも、ケガにより春シーズンを全休。
・秋の初戦は「天皇賞・秋」に参戦、ウオッカとの着差2cmで敗れ2着。ウオッカとの直接対決は5戦して3勝2敗。
・年末の「有馬記念」では1番人気に推され、スタート直後に先頭に立ちそのまま完勝、牝馬としては37年ぶりの快挙。
・年明けには前年同様ドバイ遠征を目標にするも、浅屈腱炎により断念、現役を引退した。
小ネタ
・デビューから引退まで12戦8勝・2着4回と、牝馬としての連続連対最多記録。
・デビュー戦では武豊に騎乗を依頼したが、先約があったため安藤勝己が騎乗することとなった。なお以後全レースで安藤勝己が騎乗することとなる。
・繁殖牝馬としては、初仔から10頭続けて牝馬が誕生。2021年11頭目にして牡馬が誕生する。
代表レース
2007年 桜花賞
前走差されたウオッカを破ったレース。
2008年 有馬記念
無敗外国産馬のエルコンドルパサーとグラスワンダーに勝ったレース。
ウオッカ
生年月日 | 2004年4月4日 |
通算成績 | 26戦10勝[10-5-3-8] |
獲得賞金 | 13億487万円 |
父 | タニノギムレット |
母 | タニノシスター |
主な勝鞍 | ’06 阪神ジュベナイルF(G1) ’07 東京優駿(G1) ’08 安田記念(G1) ’08 天皇賞・秋(G1) ’09 ヴィクトリアマイル(G1) ’09 安田記念(G1) ’09 ジャパンC(G1) |
生い立ち
・父はダービー馬のタニノギムレット、母は牝系にシラオキを持つタニノシスター。
・名前の由来が父のギムレットより高いアルコール濃度ということと、ストレートの方が強いという理由で、「タニノ」という冠名なしの「ウオッカ」とされる。
・デビュー前から「シーザリオ(日米オークス制覇)級」と期待される。
「府中の申し子」と呼ばれた競走馬
・デビュー3戦目にG1「阪神ジュベナイルフィリーズ」を2歳芝1,600mの日本レコードで制覇、JRA賞最優秀2歳牝馬を受賞。
・年明けの「チューリップ賞」でダイワスカーレットを差し切り勝利するも、「桜花賞」では追いつけづに2着に破れる。
・次走は牝馬ながら「日本ダービー」優勝、64年ぶり史上3頭目の快挙。
・「凱旋門賞」出走が決定するもケガにより断念、翌年の「安田記念」まで1年以上勝利から遠ざかる。
・牝馬の「安田記念」制覇は史上3頭目。
・「天皇賞・秋」では13分の写真判定の末、2cm差でダイワウカーレットに勝利。なおこのレースでの掲示板内の着差が「ハナ-クビ-ハナ-クビ」の0.1秒差の激戦だった。
・この「天皇賞・秋」は、スペシャルウィークのレースレコードを0.8秒更新、史上初めて牝馬による牡牝混合GI級競走3勝、日本人騎手による初の天皇賞・秋連覇達成、50年ぶりとなる天皇賞・秋牝馬による1・2フィニッシュと記録づくめだった。
・この年、JRA賞年度代表馬、JRA賞最優秀4歳以上牝馬を受賞。牝馬による年度代表馬受賞はエアグルーヴ以来、史上2頭目。
・翌年、「ヴィクトリアマイル」をレースレコードで制覇、牝馬によるG1級競走5勝目でメジロドーベルの記録に並ぶ。
・つづく「安田記念」では最後の直線で前が壁になるも馬群を縫って優勝。
・史上2頭目、牝馬としては初の安田記念連覇、同年でのヴィクトリアマイル、安田記念の制覇は史上初、牝馬によるG1級競走6勝目で最多勝利記録更新、牝馬として史上初めて総収得賞金10億円突破。
・「ジャパンカップ」をハナ差2cmで日本調教馬の牝馬として初優勝。
・G1級競走7勝目でシンボリルドルフ、テイエムオペラオー、ディープインパクトに並び、牝馬によるG1級競走最多勝利および最高獲得賞金記録をさらに更新。
・ジャパンカップ後、競走中に鼻出血し発症しているていることが判明。「有馬記念」では史上初めて3年連続1位となったが出走を回避。
・史上初めて牝馬による2年連続年度代表馬受賞。
・「ドバイワールドカップ」を目標に海外遠征するも、前哨戦で鼻出血を再発し、出走を断念。引退となった。
小ネタ
・東京競馬場でG16勝を挙げたことから「府中の申し子」と呼ばれる。
・夏冬のグランプリ競走のファン投票では3歳の宝塚記念を除いて最多得票、5回連続で1位選出されるも、8着・11着・4連続回避。
・女性人気が高く、出走する日の競馬場は女性の割合が高くなる。
代表レース
2007年 日本ダービー
牝馬として64年ぶりに日本ダービーを制覇したレース。
2008年 天皇賞・秋
ダイワスカーレットと激闘の末、鼻差2cm制したレース。
2009年 安田記念
馬群の中を縫うように突破した、ウマ娘1期オープニングで再現していると思われるレース。
ゴールドシップ
生年月日 | 2009年3月6日 |
通算成績 | 28戦13勝[13-3-2-10] |
獲得賞金 | 13億9,776万円 |
父 | ステイゴールド |
母 | ポイントフラッグ |
主な勝鞍 | ’12 皐月賞(G1) ’12 菊花賞(G1) ’12 有馬記念(G1) ’13 宝塚記念(G1) ’14 宝塚記念(G1) ’15 天皇賞・春(G1) |
生い立ち
・父は小柄で丈夫な気性難のステイゴールド、母は大型で産駒に体質的な弱さがあったポイントフラッグ。母の産駒が大型馬が多いことから小柄なステイゴールドが選ばれるも大型馬が生まれる。
・幼い頃は綺麗な鹿毛で非常におっとりしていておとなしかったとされる。
・2歳時、福島県天栄村にある吉澤ステーブル福島分場にてデビュー前調教を進めていたが、東日本大震災で被災。
「芦毛の気分屋」と言われた競走馬
・デビュー戦は2歳コースレコードで勝利。
・クラシック初戦の「皐月賞」では3コーナーで最後方から内目を進出、4コーナーではほとんどの馬が荒れた内寄りの馬場を避け外に進路をとるが、大きく開いた内を通り直線では3番手につけ上がり3ハロンをメンバー最速となる末脚を繰り出し優勝。
・「菊花賞」ではタブーとされる3コーナー手前から仕掛け、4コーナーから直線入り口では持ったまま先頭、他馬を寄せ付けず優勝。
・年末の「有馬記念」ではオグリキャップ以来、史上2頭目の芦毛馬の制覇。
・翌年の「天皇賞・春」は1.3倍の1番人気に推されるも5着。
・「宝塚記念」では前年牝馬三冠を達成したジェンティルドンナと直線でぶつかるものの(通称:貴婦人タックル)、それをもともせず突き抜けて優勝、G1級競走4勝目。
・「ジャパンカップ」に出走するも15着と大敗、初めて掲示板を外す。
・年明けは「阪神大賞典」から始動、本レース2連覇を達成。
・「天皇賞・春」では終始落ち着いた感じでゲート入りするも、突如立ち上がって怒り出し、スタートでは大きく出遅れ7着に敗れる。
・ファン投票1位で「宝塚記念」出走、連覇を果たす。このレースでコンビを組んだ横山典弘騎手に「お願いします、走ってください」と言われながら走った。
・万全の仕上がりで「凱旋門賞」に挑戦するも14着に大敗。フランス入り後は調教も順調で終始機嫌が良かったことから「フランス観光ついでにレースに出た」と皮肉られる。
・翌年「阪神大賞典」では本レース3連覇を達成。史上7頭目の重賞10勝に到達。
・続く「天皇賞・春」ではゲート入りを嫌がり目隠しされてのゲート入りとなるも、レースでは優勝。G1級競走6勝目となる。
・枠入り不良で、発送調教再審査を科せられるも一発合格。
・史上初の「同一平地G1級競走3連覇」をかけた「宝塚記念」いファン投票1位で出走。
・発送直前にゲート内で立ち上がり、さらにゲートが開いた瞬間にも立ち上がってしまい大きく出遅れ、15着の惨敗。俗にいう「120億円事件」。
・翌日の日刊スポーツで「121億円紙くず」と大見出しを飾る。ちなみに祖父のメジロマックイーンも1991年の天皇賞・秋で140億円を紙くずにしている。
・発走直前の行為が枠内駐立不良と判定されたため再び発走調教再審査が科せられる。
・年末の「有馬記念」で現役を引退、最終レース後に引退式が執り行われるがそこでも駄々をこねる。
小ネタ
・追い切り後、厩舎へ戻る途中調教助手を振り落として右肩脱臼の大怪我を負わせる。
・管理調教師によく噛みつきシャツを破る。最後の年は円形脱毛症になる。
・デビュー時から他の馬を蹴りに行くことで有名になる。特にトーセンジョーダンが狙われる。
・2013年の「阪神大賞典」から1着・5着・1着・5着と続き、次の「ジャパンカップ」は1着と思われたがまさかの15着。
・厩務員の今浪さんが大好き。
・種付けがうまい。
代表レース
2012年 皐月賞
3コーナーでは後方2番手にいたゴールドシップが最終直線では3番手ワープした通称「ゴルシワープ」。ウマ娘1期オープニングで再現していると思われるレース。
2015年 宝塚記念
開始2秒で120億円を紙屑にした事件。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は、アニメ「ウマ娘プリティーダービー」に登場するチームスピカのメンバーを紹介しました。
キャラクターたちの可愛さももちろんですが、名馬たちへの造詣の深さと、それをアニメに落とし込んでエンタメに昇華させた「ウマ娘 プリティーダービー」からは、今後も目が離せません。
アニメ「ウマ娘 プリティーダービー」は2021年11月7日現在では4つのサービスで配信されています。
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最後までご覧いただきありがとうございました。
今後もみなさんのお役に立てる情報を発信していきます。