こんにちは、フライドエッグののっちです。
アプリゲームやアニメで人気の「ウマ娘 プリティーダービー」。
単なる“美少女化アニメ”とは違う、競馬ファンをも熱くさせる本作品の魅力とは一体どんなものなのでしょうか?
今回は「ウマ娘プリティーダービー」に登場する七冠馬「シンボリルドルフ」の史実馬を紹介します。
史実を知れば、アニメもアプリも漫画もきっと楽しくなりますのでご覧ください。
「ウマ娘 プリティーダービー」とは
「ウマ娘 プリティーダービー」は、プレイヤーがトレーナーとなり、実在する競走馬の名前を冠した「ウマ娘」と呼ばれるキャラクターを育成し、イベントやレースをこなしながら目標達成を目指していくアプリゲームです。
ゲーム内では迫力満点のレース映像や、レースの勝者がセンターを務めるライブステージ「ウィニングライブ」が楽しめます。
他にも漫画やアニメ、楽曲CD、CDドラマなどに展開されているメディアミックスコンテンツです。
シンボリルドルフとは?
今回は、史上初の七冠馬でウマ娘に登場する「シンボリルドルフ」の史実馬について解説していきます。
シンボリルドルフ
生年月日 | 1981年3月13日 |
通算成績 | 16戦13勝[13-1-1-1] |
獲得賞金 | 6億8,482万円(中央) |
父 | パーソロン |
母 | スイートルナ |
主な勝鞍 | ’84 皐月賞(G1) ’84 日本ダービー(G1) ’84 菊花賞(G1) ’84’85 有馬記念(G1) ’85 天皇賞・春(G1) ’85 ジャパンカップ(G1) |
七冠馬とは
七冠馬とは、クラシック三冠(皐月賞・日本ダービー・菊花賞)に加えて、古馬の指定されたG1(天皇賞(春・秋)・宝塚記念・ジャパンカップ・有馬記念)を4勝した競走馬を指す。
しかし、七冠馬の定義が定まっているわけではないので、シンプルにG1タイトルを7つ手にした競走馬を指す人もるが、前記の条件で七冠を達成したのはシンボリルドルフとディープインパクトの2頭のみ。
生い立ち
・父は2度リーディングサイアーになった名種牡馬パーソロン、母は名馬スピードシンボリを父に持つスイートルナ。
・通常、誕生から立ち上がるまで30〜90分ほどかかるのをわずか20分で立ち上がる。
・幼名は三日月型の流星から「ルナ」と呼ばれていた。
・母親が食事中に嫌がられて蹴とばされても乳に食らいつくほど旺盛で、細身ながらも手のかからない健康優良児だった。
・馬名は冠名の「シンボリ」に神聖ローマ帝国の皇帝「ルドルフ1世」から。
・1歳の頃、同じ牧場にいたリーダー格の馬がけしかけて来ても、逃げもせず、相手にもならず、堂々とした態度をくずさなかった。
・同世代は「ビゼンニシキ」「スズパレード」「ニシノライデン」などがいる。
「皇帝」と呼ばれた七冠馬
・デビューの1000mでは1600mの競馬、続く1600mでは2000〜2400mの競馬でクラシック路線を見据えた教育を施される。
・3歳(現2歳)王者を決める「朝日杯3歳S(G1)」ではなく11月末のオープン競走を使われているが、これは「ジャパンカップに来場した海外の競馬関係者にシンボリルドルフという素晴らしいサラブレットを見せたい」という意向に基づいてのこと。
・翌年は「弥生賞(G2)」から始動、18kg増の馬体重で出走し勝利、しかしこのレース中負傷を負い調教が遅れ、強めの調教を行ったことから「皐月賞(G1)」は22kg減の馬体重となったが、ビゼンニシキとの2強対決を制しレースレコードで優勝、鞍上の岡部は表彰式で三冠を意識して1本指を指し示した。
・次走「日本ダービー(G1)」では、これまで好位差しの競馬をさせてきたが、先行勢に並ぼうと鞍上の岡部が指示を出したがその指示に全く応えず、第4コーナー過ぎ辺りで自ら進出を開始、前を行く先行勢を差し切り二冠制覇を達成、表彰式では岡部が2本指を掲げる。
・このレースで岡部は「シンボリルドルフに競馬を教えてもらった」と述べた。
・ダービー後に海外遠征を計画されるが、右前脚に故障を発症したことと検疫条件が整わなかったことが重なり、7月に海外遠征の中止が発表された
・秋は「セントライト記念(G3)」から始動、コースレコードで勝利し三冠への期待が膨らむ中「菊花賞を回避する」との噂が流れる。
・この噂はオーナーの「大目標であるジャパンカップに万全の状態で出走したい」との意向からだが、「菊花賞(G1)」に出馬すると「ジャパンカップ(G1)」には中1週で向かうことになることと、世代最強は明らかであることからだが、周囲の説得やファンの要望もありオーナーが折れる形で「やはり三冠も取っておこう」となった。
・「菊花賞(G1)」では史上初の無敗での牡馬クラシック三冠を達成して「不敗の三冠馬」の称号を手にし、表彰式では岡部が三冠目を意味する3本指を掲げられる。
・続く「ジャパンカップ(G1)」ではミスターシービーとの史上初の三冠馬対決となったが、1番人気はミスターシービー、シンボリルドルフは中1週のローテーションと下痢の発症などから生涯最低の4番人気、結果は「宝塚記念(G1)」覇者の逃げるカツラギエースを捉えられず3着に終わり、初の敗戦で連勝は8でストップした。
・次走の「有馬記念(G1)」は人気投票はミスターシービーに次ぐ2位だったものの、レースでは前走逃げ切られたカツラギエースをマークする競馬でレコードタイムで優勝、史上初の4歳(現3歳)四冠を達成し、表彰式では岡部が4本指を掲げる。
・翌年「天皇賞・春(G1)」ではミスターシービーとの3度目の対決、第3コーナーで早めのスパートでミスターシービーが先頭に立つが直線で差し切り優勝、シンザンと並ぶ五冠を達成し、表彰式では岡部が5本指を掲げる。
・その後、同年のダービー馬シリウスシンボリとともに海外遠征が予定されるが故障により取りやめ、シリウスシンボリのみ渡欧となる。
・秋は調整の遅れから、ぶっつけで「天皇賞・秋(G1)」へ出走、当時の府中2000mでは絶対不利の大外枠に加えて出遅れもあり、久しぶりでかかったのか向こう正面で一気に好位につけ直線入り口では早々に先頭に立つが、13番人気のギャロップダイナの強襲を受け2着に敗れるも調教師は「競馬には絶対はない。だがシンボリルドルフには絶対がある」と言い切る。
・シンボリルドルフを差し切ったのはギャロップダイナのみであるが、レース後馬房のなかでシンボリルドルフが悔し涙にくれたという話が報道される。
・次走の「ジャパンカップ(G1)」では無難に優勝し、表彰式で岡部は六冠を示すために手を手綱から離し、指を1本置いた。
・ふたたび海外遠征が計画され、日本国内でのラストランとなる「有馬記念(G1)」では鞍上の岡部が調教師から強い勝ち方をするよう指示され、同年二冠馬のミホシンザン以下を4馬身突き放し優勝、ここで岡部は七冠を示すパフォーマンスを見せなかった。
・翌年、海外遠征を行うことになったが、オーナーと調教師の間で意見が対立し確執が起こり、結局オーナー側の計画が実行されたが遠征には調教師側の厩舎関係者は帯同せず、調教から何からを現地スタッフに任せるという事態になる。
・アメリカ・サンタアニタ競馬場の「サンルイレイステークス(G1)」に出走し6着に敗れたが、コースの特徴でもあるダートを横切る場所で左前脚繋靱帯炎を発症し、NHKをはじめ各局ニュースでシンボリルドルフの故障と敗戦が報じられる。
・鞍上の岡部はレース前の調教でシンボリルドルフの異変を察して陣営にレースの回避を進言していたが聞き入れられることはなかった。
・帰国後、海外再挑戦も検討されたが最終的には引退となり、12月には中山競馬場で引退式が行われ、七冠をイメージした「7」の番号と王冠のマークが描かれたゼッケンをした姿で登場した。
・種牡馬になってからはG1競走4勝の二冠馬トウカイテイオーを輩出した。
小ネタ
・厩舎では気が荒く「ライオン」とあだ名がつけられ乱暴な振る舞いをしていたが、外に出ると堂々として暴れることはなかった。
・現役時代に所属した野平厩舎には、当時調教助手として藤沢和雄元調教師がいた。
・現役時代には1000mから3200mの幅広い距離でのレースで勝利を収めた。
・シンボリルドルフをイメージした「七冠馬」という日本酒が簸上清酒(島根県奥出雲町)から販売されている。
・先輩三冠馬ミスターシービーの後方から捲りのハラハラする展開の競馬と比べ、好位から抜け出す強い競馬でねじ伏せる勝ち方から「つまらない競馬」「勝利より3度の敗北を語りたくなる」と言われた。
代表レース
1984年 日本ダービー
名手岡部に競馬を教えたとされるレース。
1985年 天皇賞・春
ミスターシービーとの三冠馬対決最後のレース。
1985年 有馬記念
五冠馬シンザンの最高傑作と言われるミホシンザンを敗った日本最後のレース。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は、アニメ「ウマ娘プリティーダービー」に登場するシンボリルドルフを紹介しました。
キャラクターたちの可愛さももちろんですが、名馬たちへの造詣の深さと、それをアニメに落とし込んでエンタメに昇華させた「ウマ娘 プリティーダービー」からは、今後も目が離せません。
アニメ「ウマ娘 プリティーダービー」は2022年5月6日現在では7つのサービスで配信されています。
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最後までご覧いただきありがとうございました。
今後もみなさんのお役に立てる情報を発信していきます。